ふと気づくと、ノートパソコンが充電できなくなっていた。十一インチの古いMacBook Air。スティーブ・ジョブズが封筒から取り出したことで有名な、あのモデルだ。
この端末を購入したのは二〇一一年一〇月、ジョブズが亡くなったというニュースが報道された日。生前のジョブズが手掛けた製品を手元に置いておきたいと思い、仕事帰りに買った。
それから一四年間、延命処置を施しながら使い続けている。システムアップデートが終了した後もBootCampでWindows10をインストールし、秀丸エディタで執筆専用マシンとして運用している。十一インチの画面に縦書き表示し、角川文庫と同じ縦三十八文字になるようフォントサイズを調整。一行を読み切る長さとして丁度良い。
それが突然充電できなくなった。バッテリー残量ゼロ。ACアダプターをつないでかろうじて起動する。システムを確認するとバッテリーを認識していない。
昨年一二月に新品の互換バッテリーに交換したので接続エラーも考えられる。裏蓋を開けてコネクターをつなぎ直したが、充電が始まる様子がない・・・
ふと昨日のことを思い出した。寒い公園で使い、そのまま帰ってきて玄関に放置したこと。朝、手に取ったとき、アルミ製の筐体が冷蔵庫の中に入れていたかのように冷たかった。
素手に持っているのも辛いほど冷たいので、試しにホットカーペットの上に置いて温めた。しばらくするとACアダプターの本体側のコネクターランプが緑から充電を示すオレンジ色に変わった。タスクトレイのバッテリーアイコンも充電中の表示になっている。そのまま満充電になるまで放置した。
後でAppleのホームページに記載された仕様を確認してみたら、動作可能な温度は一〇度から三十五度と書かれていた。暖房されていない我が家の玄関先は、きっとそれを下回っていたのだろう。私は自分の扱いの雑さをちょっと反省した。
ふと別のことを思い出した。以前、自分が作ったホームページのレイアウトが崩れた件でクライアントの担当者からクレームが入った。ものすごい剣幕でまくしたてられ、私は謝罪するしかなかった。それでコードを見直していると、担当者の上司から電話が入った。調べたところ前日に担当者が誤った更新作業を行っていたとのこと。自分たちの都合の良い思い込みでそちらにクレームを押し付けてしまい、申し訳なかったと謝罪された。
今回のMacbook Airの件もそれに似ている。エンジニアとしての癖で、動かなければ購入したバッテリーの不具合を疑ってしまうし、使用年数から考えればハードウェアの寿命と決めつけてしまう。
しかし今回の原因は、ユーザーである私の使い方にあったのだ。
我々は誰一人として真実の世界を見たり、聞いたりすることはできないんだ。脳の選んだ、いわば偏った僅かな情報のみを知覚しているだけなんだ
自分の先入観から、あやうくMacbook Airを破棄するところだった。Windows10のサポートも二〇二五年に切れるが、その後はどうやって延命しようかと考えている。